私たちが興味を持つものや学習方法、問題解決方法の選び方にはそれぞれ好みがあります。
私たちのバイオストラクチャーによって、それぞれ明確な好みを持っているのです。
翻訳:日本ストラクトグラムセンター正規研究員 磯川 友浩
(本ブログは、全10回のモチベーションをテーマにしたシリーズの第7回目です。)
なぜ私たちは新しいことを学ぶのがとても難しいと思うことが多いのか?
産業化、グローバル化、デジタル化など、ここ数年の変化のスピードとそれに伴う適応へのプレッシャーはますます高まってきています。
そのため、生涯学習が必要になっている今日の状況は、驚くことではありません。そして嬉しいことに、誰もが老後まで学ぶことができます。
数年前までは、20代前半から知識の習得力が下がり始めると考えられていましたが、現在では60歳、70歳になっても、新しいことを学ぶと、脳内で新しい細胞やつながりが形成されることが脳科学的にも明らかになっています。
しかし、なぜ私たちは新しいことを学ぶのが難しいと感じることが多いのでしょうか。その理由は、知識の習得は純粋に認知的なプロセスであり、主に指導を受けることで学ぶことができるると考えられているためです。
生後間もない頃は経験値が少ないため、子どもたちは実績のある方法を真似します。
私たちの脳は、このように単純なコピーによって、最初の対処手段を手に入れることができます。
これの利点は、対象のプロセス全体の複雑さを理解する必要がないことです。
「他人の真似をする」というのは、大人になった今でも続く良い戦略と言えますし、脳の観点からも間違っていません。
だからこそ、私たちは外国の都市で、まったく人がいないレストランよりも、人がたくさんいるレストランを選ぶのです。
その他、「成功した人と同じことをする」というものがあります。
ここでも、「成功者はいろいろなことをきちんとやっているに違いない、だからそのやり方を真似れば大丈夫だろう」という思考が働いてしまうのです。
そのため、私たちはレストランに行くとき、レストランガイドのおすすめや星の数で判断することが多いのです。
しかし、問題が1つあります。
この2つのルールを両立させることは簡単ではありません。
- 「人の振り見て我が振り直せ」であれば、多数派の意見に従うことになり、贅沢を否定する傾向があります。その代わり、自分の社会的環境にいる人たちから褒められたり、認められたり、確認されたりします。
- 「成功者と同じことをする」というルールに従うと、傲慢や出世主義者だと思われて、他人から否定されるリスクがあります。
上記の二つのうち、どちらを選びますか。また、その理由は何ですか?
通常、私たちは非常に単純な基本ルールに従っています。
私たちが良い気分になるものは、強化される傾向がある一方、苦痛を与えるものは、すべて避けようとします。
最も簡単な例として、熱いコンロで考えてみましょう。
痛みが強ければ強いほど、また不意に襲ってくるほど、その学習効果は強くなりますが、学習に効果的なのは肉体的な苦痛だけではありません。
私たちの感情は「社会的な痛み」も身体的な痛みと同じような影響を脳に与えることがあります。
そのためには、上記の2つのことを調和させることが重要です。
自分にとって意味のあること、ワクワクするようなことをすることで、社会環境にも良い反応を生み出すことができるのです。
しかし、仕組みだけを理解していても不十分で、学習の原動力にはなりません。
私たちの心に訴えかけてこないもの、感動を引き起こさないものは、脳が関連性の低いものとして認識します。
例えば、試験のために勉強内容を詰め込むことはできます。しかし、それらは長い目で見ると、頭の中に残らないのが普通です。
子供たちの宿題を手伝う親は、このような場面を経験することがあるでしょう。
かつて自分が学習した内容であっても、もはや思い出せない、あるいは全く知らない内容であることが多いのです。
ポルトガルの神経科学者アントニオ・ダマシオは、人間のすべての経験は、成長するにつれて感情的な記憶として保存されると理論化しました。
ダマシオによれば、この経験記憶は、意思決定に役立つとし、体細胞マーカー仮説で説明しています。
そのため、人は学ぶべき事柄に興奮したときに最も学ぶことができるのです。学んだ情報が感情と一緒に保存されて初めて、記憶に定着させることができるのです。
このようにして、私たちの脳は徐々に標準的な解決策を構築し、何度も繰り返し使用するようになります。
私たちが何に興奮し、どの学習方法を好むかは偶然の産物ではなく、私たちの生体構造とそれに関連する基本的な動機のために、誰でも問題の解決方法について明確な好みがあり、その方法はさまざまです。
- 直感や経験による、成功体験に基づいた解決策を好み、相談できる相手がいる(緑の要素)
- 試行錯誤しながら、うまくいくまでやり続ける(赤の要素)
- 分析・抽象化を通じて、基本的な因果関係を理解し、そこから解決策を導き出そうとする(青の要素)
もちろん、この3つの解決策や学習方法は、互いに明確に分けることはできませんが、どの方法を好むかは、人それぞれ個人差があります。
誰もが新しいことを学ぶことはできますが、それは各個人のやり方、ペースでしかできません。
私たちのバイオストラクチャーは、その枠組みを提供してくれているのです。
私たち一人ひとりにとって重要なこと、夢中になれることは、子どもの頃にすでに現れている基本的な動機に関連しています。
所属、権力、または達成の動機が、子供の頃から現れのは偶然ではありません。
すべての親は、このことを知っておくことをお勧めします。
もし、あなたの子供が、あなたが望むほど激しく抱きつきたがらないとしても、あなた自身やあなたの親としての資質を疑う必要はありません。おそらくその子は所属欲求が低いのでしょう。
もし、あなたの子供が他人に対して反撃できるのに反撃せず、自己主張もせず、むしろ妥協して譲歩するようであれば、おそらく権力に対する欲求が低いのでしょう。
また、学校で必要な好奇心や忍耐力が足りないと感じるなら、その子はおそらく達成することに対する欲求が少ないのでしょう。
このような基本的な動機は、多かれ少なかれ、各個人に遺伝的に備わっているものであり、訓練によって身につけることはできません。
しかし、私たちが学ぶことができるのは、こうした自分の気質と向き合い、それを最大限に活用することなのです。
なぜ、このような区別が必要なのかは、1965年にアメリカの心理学者ウィリアム・H・シェルドン(Sheldon)が、内向的で内省的、むしろ合理的にコントロールできる少年を例に挙げて、示していました。
いわゆる「典型的な少年」は、「強盗と兵士」の遊びに熱中になり、他の少年たちと喧嘩して常に勇気を試し、色んなことに大胆に取り組むでしょう。
一方、例えば、スポーツに強い関心を持つとか、常に大きな声で返事をするといったことを、脳緊張症と認められた少年に求めるべきではないと述べています。
少年の可能性(と危険性)を考慮し、その性質を最もよく発達させるために必要な、一人の時間とプライバシーを残すことが最も少年の成長には必要なのです。
例えば、自分の子供や同僚の行動を自分の期待にそって評価するのではなく、自分の期待を調整することを考えるべきなのです。
誤った期待は、失望を招き、ストレスや欲求不満につながります。
シェルドンはこの関係を次のように定式化しました。
「共同生活における最大の誤りは、自分の存在を周囲の人々に間違って投影してしまうことである。(しかし、これは常に起きている)」。
彼らをありのままの存在として理解すること、つまり彼らに何を期待し、何を期待しないかを知ることで、多くの理不尽な要求を打ち消すことができます。
そして、それによって多くのストレスが解消し、日常のやりとりにおける多くの摩擦がなくなります。
相手の限界と可能性を把握することによって、「自分のイメージ通りに」相手を変えたいという不適切な要求が減るのです。
ですから、ひとくくりにするのではなく、その人のバイオストラクチャーに基づいて、何を期待し、何を期待しないかを、より意識的に知ることが重要なのです。